山口県の南東に位置する柳井市は、江戸時代の商家の町並みがそのまま200メートルに渡って残されている「白壁の町並み」で有名です。その町並みから東へ10分ほど歩いたところに「柳井町遊郭」はあったと言われています。
全国遊郭案内には「柳井町遊郭」は次のようにかかれています。
柳井町遊郭は柳井町字石原にあって、山陽本線の柳井津駅から東北へ約十丁の個處にある。乗合自動車があって、賃五銭である。昔は柳井を大島津と云って、瀬戸内海の要津だった。源義経は此処で壇ノ浦攻撃の兵船を偽装した。中世には八幡船を乗り回して盛んに海外をおびやかした海賊の本拠もここにあったと云われている。貸座敷は目下十六軒あって娼妓は約八十人居る。九州地方の女が多い。。。
現在では「東土手」と呼ばれる場所がそこにあたりますが、当時の面影は全くありません。それよりお隣の「新天地」という名前からして怪しい地域に、赤線を彷彿とさせる小さな飲み屋街がありました。
それでは新天地〜東土手周辺を歩いてみましょう。
新天地に至る道の途中で見つけた建物。柱がタイルで覆われています。前はもっとカフェーな佇まいだったのかも(地図①)
新天地のメインストリート。飲み屋が奥に続きます。(地図②)
もう少し歩いた場所から。赤線っぽいですね〜(地図③)
飲み屋やカラオケ、スナックが並んでいます。夜は外まで歌声が響いてきそう…(地図④)
「一味」さんの建物もちょっとカフェー建築の香りがしますね。(地図⑤)
この建物も立派なタイルの柱が。カフェー建築の名残でしょうか(地図⑥)
突き当りを柳井天満宮方面に曲がると、これまた激渋な光景が。(地図⑦)
天満宮側から。左の飾り窓が気になります。(地図⑧)
天満宮付近にはこんな張り出し部分が特徴的な建物や…(地図⑨)
すでに廃墟と化してる妓楼を思わせる建物がありました(地図⑩)
新天地から東土手方面に歩くとこんな建物があったり。。。(地図⑪)
ここが東土手。おそらく遊郭のメインストリートと思われる通りですが、それらしき遺構は1つもありませんでした。
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