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延命新地 -滋賀県-

 

滋賀県は琵琶湖の東側、東近江市に「八日市」という場所があります。ここは聖徳太子が四天王寺の瓦を焼いたところと言われており、その当時から毎月2,5,“8の日”に市場が開かれていました。「八日市」の名はそこからつけられたという説があります。

この地には「延命新地」というなにやらご利益がありそうな遊郭がありました。「延命」の由来はこの地を訪れた人たちが皆、無病息災で暮らせた…というものではなく、単に延命山の麓にあったからのようです。

遊郭の起源は不明ですが、当初は市場に近い市神神社付近に5軒程度がみられたのみであったようです。その後、1898年(明治31年)に八日市駅が開業し、大津や彦根の次ぐ存在へと発展してから、遊郭も規模が拡大していきます。

手元にある「全国遊郭案内」を開いてみました。そこには「延命新地」が次のようにかかれています。

 

現在揚屋が四十一件あつて、娼妓が五十人芸妓が五十五人居る。店は陰店式で寫眞は出て居ない。娼妓は総て送り込み制で居稼ぎ制ではない。遊興は時間制で廻しは取らない。一時間が一圓五十銭で一泊は六十七圓見當である。娼妓に比して芸妓の數が比較的多いのは、商業上に花柳界の利用される率の多い事を物語つて居る物だ…

この遊郭が本格的に発展したのは、1938年(昭和13年)に陸軍の飛行第3戦隊がこの地にやって来てから。“軍の施設あるところ遊郭・赤線あり”ですからね。

そんな発展を見せたこの延命新地も、ご多分に漏れず昭和33年の売防法の施行によってその役割を終え、飲み屋街に発展していくわけです…。

が、行ってみると延命ではなく絶命といえるほどの廃れっぷり。唯一、東京にもあるミシュラン一つ星の「招福楼」が存在感を示してはいましたが…

それでは延命新地周辺を歩いてみましょう。

 

近江鉄道「八日市駅」。戦後一貫して西武グループ系の路線なので、駅内のキオスクもそっち系。赤字運営で結構大変という噂を聞きましたが。

駅前に設置されていた「白いポスト」。都心じゃ見かけることはほとんどなくなったよね。Hビデオって書かれてもねぇ。子供に「Hビデオって何?」って言われたら親はなんと答えるのか。というか最近の子供は知ってて当然か。あ、むしろビデオって何?っていう感じなのか?

飛び出し坊やの亜種はいろいろあれど、元祖はここ八日市市の久田工芸作のもの。みうらじゅん曰く「0系」と呼ばれるものです。

延命新地に寄る前に、激渋アーケード街「本町商店街」を歩いてみる。左下に0系坊やが見えますね。

全く人が居ない…

ずっと続くシャッター街…

本町商店街を抜け、右に曲がるとやがてY字に道が分岐している場所に出るので右に進みます。

やがて右側に見えてくるのが「延命湯」。現役時代から続く銭湯です。この奥のエリアが「延命新地」と呼ばれる場所です。(地図①)

上部のトタンのファサードが特徴的な建物。奥には風情を残す建物も見えますね。(地図②)

絶命感ハンパないですね。。(地図③)

味のある看板です。ここは奥を進むとそのまま「抜けられます」(地図④)

スナックが多いですね。全部まだ現役なんだろうか。(地図⑤)

「子子子」と書いて「こねこ」と読む。「愛に恋」だから会いに来ましたよ(地図⑥)

このあたりが一番飲み屋が集中しているっぽい。夜、酔った客がこの工事中の側溝?に足引っ掛けそうで心配…(地図⑦)

風前の灯…というかもう廃墟ですねこれ(地図⑧)

当時から現役、日本料理界の総本山と称される名店「招福樓」本店。東京にもいくつか店舗あります。私みたいな貧乏人には縁がないけど、一度入ってみたい・・・(地図⑨)

 

 

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