富山には規模の大きな遊廓がありましたが、太平洋戦争の影響でほとんどが灰燼に帰してしまい、戦前の建物はほとんど残されていません。
特に20年8月1日の富山大空襲では市街地の99.5%が消失してしまい、その規模は広島・長崎に次いで三番目とか。
そのため、現在の花街の残滓は全て戦後のものです。『よるの女性街・全国案内版』によれば、戦後の様子は次のように紹介されています。
花街は桜街と北の丁の二ヶ所で桜街は県庁の裏の桜木町界隈、置屋十七軒に芸妓三三名。戦前はこの里に八清楼の小秀という名妓がいた。北の丁は東新地内の北の丁で一〇軒に二五名見当がいる。赤線はてんやわんやで大きいのは前記東新地内の南丁、中ノ丁で五三軒、一八五名。このほか富山銀座の総曲輪周辺に新世界、自由街、楽天地など一〇ヶ所ほどあり赤線の女給総計は三〇〇名を越える
今回、散策したのは上記にも記載されている赤線「新世界」になります。ここは当時の面影を色濃く残している激渋なエリアでした。
2014年当時の様子を見てみます。
鼬川を渡ると住宅街の中に激渋な空間が見えてきます。(地図①)
「新世界」の看板がまだ残っています。創立昭和24年なので67年の歴史があります。(地図②)
「新世界」の入り口。黄色い看板が味があっていいですね。(地図③)
新世界の路地を入ると、飲み屋が並んでいます。(地図④)
こちらも路地の一角。アールのついた壁がカフェー建築っぽいですね(地図⑤)
こちらもカフェー建築の匂いが・・・(地図⑥)
上を見上げると丸い飾り窓。やっぱり。(地図⑦)
新世界を裏口から。この鉄塔と黄色い看板の組み合わせが素晴らしいです。昔の東映の映画で出てきそうな感じ。(地図⑧)
時間が無くて富山はあまり散策出来なかったので、また再訪してみたいです。