京都駅から西本願寺を抜け、500メートルあたり過ぎた西新屋敷太夫町付近が「島原遊郭」。足利義満の時代に作られ、豊臣秀吉が公認した日本で最初の「廓(くるわ)」です。「島原」の由来は、この地に移転してきた際のドタバタが島原の乱の様子に似ていたとか、周りが田んぼに囲まれたこの廓が、島のような存在だったためとか諸説あります。
近くの祇園のほうが栄えてしまい、また、火災による消失があったりしたため、この島原は次第に衰退していきました。現在はだいぶ住宅街になってしまいましたが、今も「大門」「輪違屋」「角屋」が当時の面影を残しています。
島原大門。手前には見返り柳も残っています。廓で遊んだ客が、行くか戻ろうか思案するのが、この柳のあたりだったため。同じような柳は吉原にもありますね。(地図①)
同じく、明治15年頃の島原大門。当時の門が現在に至るまで残っているのは奇跡ですね。
こちらも同じく島原大門。島原といえば花魁道中です。
こちらも数少ない遺構であり、現在はカフェになっている「きんせ旅館」(地図②)
数少ない揚屋建築であり、国の重要文化財に指定されている「角屋」。(地図③)
現在もお茶屋兼太夫教育の場として利用されている「輪違屋」(地図④)
モダンな照明。「輪違屋(わちがいや)」ゆえに輪が互い違いのデザインですね。
島原遊郭メインストリートから大門を見る。
メインストリートの先には島原住吉神社があります。(地図⑥)
ここがメインストリートの出口。昔は西門が立っていましたが、昭和52年と平成10年の2回、車が突っ込んでしまい、倒壊してしまいました。残念。(地図⑦)
島原については、牧口雄二監督の「玉割り人ゆき」(1975年)や佐藤純彌監督の「廓育ち」(1964年)でその当時の様子が確認できます。
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