金津園からJRのガード下をくぐった先にある「国際園」を散策しました。
戦後間もない頃、金神社境内にできた闇市や私娼窟が「国際園」のはじまりと言われています。
非合法な売春、いわゆる「青線」であったこの場所の処遇をめぐって地域住民や業者、岐阜県がすったもんだした結果、昭和31年、現在の花園町に移転されることになります。
昭和31年といえば、売防法が施行される2年前。
移転してきた業者は売防法対策として、いつでも転業もできるような形で営業していたようです。
現在は非常に良い感じの寂れ具合になっています。
まずは「国際園」の周辺から。繊維問屋街らしく、問屋アーケード街が張り巡らされています。早朝だからだろうけど、ほんと人の気配がない。
アーケード街を横道にそれると、この先が行き止まりなのか通れるのかも怪しくなってきます。そんな人のための「通れます」看板。現代版玉ノ井『抜けられます』みたいなもんですね。
それでは2016年8月の様子をみていきます。
3階建ての建物。よく見ると豆タイル。両側の窓の意匠も面白いですね(地図①)写真ボケボケですみません。
国際園で一番有名な場所。「ミカド」と「祇園」の渋さといったらもう(地図②)
渋すぎる・・・
こちらもよく見ると豆タイル。(地図③)
この建物は全面改装されてますが、3階建てだし、おそらく青線時代のものじゃないかなぁと。(地図④)
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