永真遊郭 -神奈川県-

横浜には代表的な遊郭が4箇所ありました。1つは、現在の横浜スタジアムがある横浜公園に1859年に開設した「港崎(みよざき)遊郭」。この遊郭には特に有名な妓楼「岩亀楼」があり、数々の浮世絵にも描かれました。現在も石灯篭が残っています。

その港崎遊郭が焼失したため、移転したのが2つめの吉原遊郭(現在の羽衣町)。当時の幕府と外国の公使団の間では「火事を出したら、同じ場所での再建は認めない」という公約が結ばれていたため、沼地だった吉原町を埋め立てて開業しました。ですが1871年にまたもや焼失。

さらに移転したのが10年間の期間限定で認可されていた高島町遊郭です。営業期間が終了すると、1888年に真金町に移転しましまた。遊郭の広さは約2万坪。港崎の1万5千坪、吉原町の8千坪と比較すると圧倒的に広かったと言われます。(高島町の面積は不明ですが、吉原町よりは小さいといわれていたようです)

以降、お隣の永楽町とあわせて売防法施行の昭和33年までの80年間、「永真遊郭」として繁栄してきました。

それでは、現在(2017年)の様子をみていきましょう。下の地図をみると、遊郭特有の整理された区画が確認できますね。

真金町は昭和が色濃く残り、ちょっと怖そうなお兄さんやへんな外国人がうろつくディープゾーンでもありました。(写真①)

ここが当時、大門があったと思われる、永真遊郭のメインストリート。道幅が他に比べて少し広くなっています。周りはビルやマンションが立ち並び、当時の面影はほとんどありません。(写真②)

当時の写真。上の写真とほぼ同じようなアングル。

金刀比羅大鷲神社。港崎(みよざき)遊郭の妓楼「岩亀楼」の主人が遊郭内に建てたものを、後にこの地に遷座したもの。(写真③)

それが証拠に古い石柱にははっきりと「遊郭」の文字が残されています。ちなみに桂歌丸さんは生まれも育ちもこの真金町です。(写真④)

神社のすぐ近くに、遺構と思われる建物がひとつ。戸袋の模様が特徴的。家紋でしょうか?(写真⑤)

 

 

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