名古屋市内で戦後に赤線地区に指定されていた「名楽園」「城東園」「八幡園」「港陽園」のうちの一つ、「八幡園」を散策しました。
名古屋駅から豊橋方面の各駅停車に乗り、二つ目の駅「尾頭橋」で降ります。
駅に降り立つ人たちは男ばかり。しかも改札を出ると皆、左折して線路沿いを同じ方向に歩き始める…
左側に何があるのかな…と思いGoogle Mapで調べると、「WINS名古屋」の文字。なるほど、納得。
目指す目的地「八幡園」は駅から徒歩2分の「尾頭橋公園」付近です。
地図で見ると、この一角だけ道幅の広い道路で囲われているのが分かります。ここが八幡園の中心かな。
全国女性街ガイドには次のように記載されています。
戦前の花柳界八幡連が、ゴッソリ赤線に転向。四、五年は味があったが当今はだめ。中川区八幡町あたりに六十八件三百二十四名。
では、2016年8月現在の様子を見ていきましょう。
二階手摺に妓楼らしい装飾がみられます。(地図①)
「八幡園」で一番有名なアングル。左のカフェー建築、右の妓楼が道を隔てて向かい合います。(地図②)
右側の元妓楼。現在は民家として使われているようです。保存状態も良い感じ。(地図③)
左のカフェー建築。デザイナー建築のように見えるけど、石内都氏の写真集「連夜の街」に載っているので間違いない。アールのついた角が艶めかしい。(地図④)
こちらも民家として使われているようです。保存状態も良いですね。(地図⑤)
「SNACKつやた」。上にあるのは髪をなびかせた女性の横顔。この建物の左隣(現在はパーキングになっているところ)に、八幡園で一番有名だった元妓楼『床元(とこもと)』があったのだけど、解体されてしまった。丸窓が印象的な建物で見てみたかった…残念。(地図⑥)
尾頭橋公園に隣接する元妓楼。保存状態いいですね。(地図⑦)
こちらも公園に隣接する「金鈴商店」(地図⑧)
寄ってみると、丸い柱は豆タイル。間違いありません。
外装は綺麗になっています。三階部分が印象的。(地図⑨)
個人宅で利用されているようで保存状態良いですね。漆のような赤壁、二階の丸窓が美しいです。(地図⑩)
何年も前の記事にコメントですけど失敬します。
小さい頃から学生時代まで、この尾頭橋公園付近で暮らしてた者です。
私が小さい頃、この辺りは一目見てモロに遊郭と分かる建物ばかりでした。
幼少の頃は公園近辺に暴力団事務所もあり、改装される前の尾頭橋公園では、そちらの方も散歩とかしてましたね。
そんな中で遊んでましたが(笑)
この公園を中心に、近所の尾頭橋商店街が1年に1度開催する金魚まつりってのがあるのですが、この金魚まつりは周辺地区も併せて1番大規模な祭りです。
金魚まつりって名前ですが、この辺りは金魚に全く縁の無い地区で、幼心に不思議に思いました。
祭りの名前の由来を、周りの大人に聞いても知らないとばかり言われましたが、現在では亡くなってるであろう近所の老人から祭りの名前の由来を1度聞いた事があり、この遊郭で働く遊女が浴衣を着ていて、その帯の後ろが金魚のヒレの様に靡いているのが金魚まつりの名前だと聞きました。
あと写真④のカフェー建築の建物ですが、私がこの場所で暮してた頃はその建物は右翼の事務所でした。
ガラス戸の入り口から内部を見ると、一見で分かるくらいに怖い風貌の方々に、日本刀が飾られてましたよ…
今も実家があり数少ないですが帰省しますが、その写真の建物は変わらずに現在は介護の会社が利用してますね。
写真見ると介護会社が利用されてますし。
私の感想としては、右翼事務所時代が記憶を占めているので、よくネット上に掲載するな(笑)です。