盛岡・八幡町は「盛岡八幡宮」の門前町。明治時代に遊里として栄えていましたが、茶屋や芸妓を有した花柳界としても繁盛していました。その名残は松尾町付近に現役の料亭として残っています。
また、八幡宮の参道付近には場末感漂う飲み屋街が密集しており、主に青線であったことが伺えます。
夜はわかりませんが、昼間はだいぶ閑散としていて人通りも少なく、少子化+高年齢化というダブルコンボをカウンターで食らったかのような衰退ぶり。
ま、地方はここに限らずどこも同じような状況ですが…。
それでは2016年1月当時の様子をみていきます。
「新八幡街」と呼ばれる巨大な煉瓦造りの建物。まるで「進撃の巨人」の巨人を防ぐ壁のよう。原作では壁の向こうは地獄ですが、「新八幡街」の壁の向こうは多くののんべえを優しく包み込んでくれる天国です。(地図①)
旅館「瀬川屋」。明治時代には高級料亭として営業しており、第19代内閣総理大臣、原敬も利用していました。昭和19年に旅館業に転業。(地図②)
参道沿いにある怪しいファサードのカフェー建築と思われる建物(地図③)
こちらも怪しいカフェー建築(地図④)
寄り過ぎの写真ですんません。現役の料亭「喜の字」(地図⑤)
元料亭っぽい優美な建物。月の形をした窓がイイ(地図⑥)
同物件を別角度から。