豊橋の代表的な遊郭といえば、小池遊郭(有楽荘)と今回紹介する吾妻・東田遊郭。ここは現在も旅館や民家としてそのまま活用されている建築物が多く、保存状態はバッチリというネットの記事を信じ、2014年の春に散策に向かいました。
豊橋駅前から路面電車の豊橋鉄道東田本線に乗り、「競輪場駅」で降ります。
駅の南側を歩いてすぐのところにある駐車場脇に周辺地図をみつけました。
今回の目的地は下の地図の左下に見える「東田仲の町」周辺。周囲が碁盤目状に整然と整理された区画であるのに対して、この一角は明らかに違っているのがわかります。
上の地図では表示されていませんが、「東田仲の町」のすぐ左側には吾妻町というエリアがあります。この街も廓好きにたまらない区画となっています。
この付近をGoogle Mapと大正時代の地図で見比べてみましょう。
大正時代の地図を見るとすぐにわかるのが正方形の区画。「(遊)廓」と書いてあります。そしてその場所は現在では赤く囲った吾妻町に該当します。廓内に敷かれた道路がそのままの形で残っているるのにロマンを感じませんか?(笑)吉原遊郭と同じく、少し遊郭全体が斜めになっているは北枕を防ぐためでしょうか。
吾妻遊郭は全国遊郭案内によると以下のように記載されており、結構な規模だったようです。
豊橋市吾妻遊廓は愛知県豊橋市東田町に在つて、東海道線豊橋駅で下車すれば東へ約二十丁、駅から乗合自動車で「東田」で下車すると直ぐである賃十銭。(中略)
豊橋は昔から遊女町として名高い処丈けに今も仲々盛んである。宿場から遊廓に成つたのは明治四十三年十月一日であるが、現在は貸座敷が五十六軒あつて娼妓は四百九十五人居る。
明治の終わりに誕生した吾妻遊郭は太平洋戦争末期の昭和19年、軍の宿舎として徴用されることになり、その歴史に幕を閉じます。しかし戦後はその宿舎が私娼窟となり、治安や病気の面で問題となりました。また、また遊郭の復活を望む声が大きかったため、昭和27年、すぐ隣の東田仲の町に「東田園」として移転開業することになります。
「東田園」は昭和33年の売春防止法施行までの6年間という短い期間で遊郭としての役目を終えますが、残った建物は旅館や住宅として現在も使用されていて、保存状態は非常に良いです。
そんな「東田園」、現在の「東田仲の町」周辺の様子をみていきます。
現在も現役の旅館「新宝光」(地図①)
同じく「新宝光」。カフェー建築風なタイル張りの柱があったりして和洋折衷な感じ。
「新宝光」の向かいもカフェー風な豆タイル。(地図②)
「新宝光」の隣にある旅館「金海」(地図③)
普通の家のようですが、玄関周りの意匠が気になる(地図④)
手前は丸窓を持つ屋号「玉川園」。もともとは旅館だったようですが、現在は民家となっているようです(地図⑤)
同「玉川園」の丸窓。
松の形にくり抜かれた塀と実際の松の調和が美しい建物(地図⑥)
旅館「新伊吹」の正面。既に誰も住んでいないようで朽ち果て始めています。取り壊しも近いかな…(写真⑦)
こちらが裏手。
屋号「此の花」。現在は民家となっています。塀が和、玄関が洋な和洋折衷型(地図⑧)